今回はアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所について書きたいと思います!

クラクフ中央駅から出発です!

だいたい2時間半ぐらいオシフィエンチム駅に着いたと思います!

列車の中は途中から僕1人です(笑)

オシフィエンチム駅


オシフィエンチム駅からアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所の行き方です!
知らない人が多いと思いますが、収容所は2つあります!第一収容所と二収容所です!
第一収容所が駅から近いので第一収容所から行きます!
駅からバスが出ているみたいですが、近いので僕は徒歩で行きました!
実は4月1日~10月31日の間は、ガイドツアーのみ収容所に入場可能なので、この期間はガイドツアーを申し込みしないといけません。
一応、日本人ガイドの人はいますがちゃんと前からコンタクトを取っておかないと日本語のガイドツアーは難しいようです。
しかし、オフシーズンの期間はガイドなしでも入れます。収容所自体の入場は無料です。
なので、僕はちゃっかり無料でアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所に入りました(笑)
ただ、無料だから勝手に入れるものではないのでちゃんと受付に行ってから荷物検査を受けてから見学しましょう!
ここからは僕がアウシュヴィッツ収容所で見たことや感じたことを真面目に伝えたいと思います。
受付と荷物検査を済ませて、アウシュヴィッツ収容所に入った瞬間に僕の吸う空気が変りました。
半世紀以上前にここで大量に人が殺された場所と思えないほど静かな雰囲気です。

その静けさがこの地で大量にユダヤ人たちが虐殺された過去を強調しているかのような感じでした。

僕が取った写真は逆光で見えづらいので、下に綺麗な写真を置いときます。

この入り口ゲートには、「労働は自由を作る」という言葉がある。
この入り口ゲートの文字のBに違和感があると思うが、これは殺される運命へのせめてもの抵抗として収容されたユダヤ人によって作られたらしいです。
長い旅の末にたどり着いた収容者たちは、「働けば自由になれる」との淡い期待を持って、入場したのだと思うと、何ともやり切れない気持ちになります。

この柵には220万ボルトの電流が流れていたそうです。


このレンガの建物に殺された人に関する展示物が多数あります。

殺された人たち

収容者の銅像

殺された人たちの髪で作られた布

毒ガスのカン

殺された人たちの義手や義足

殺された人たちの眼鏡
こんな残酷なことが地球上で起きたと知っていたが、頭で理解するのと心で理解するということは違うということに改めて気付かされました。
殺された人たちの髪で作られた布を見た時、人の命の儚さ、殺された人たちへの哀れみの感情、今までのうのうと生きてきた自分への怒りを感じました。

ガス室
ガス室はアウシュヴィッツの中でも有名な場所です。
ここで、何百万人も無残に苦しみながら死んでいった場所です。
自分ならこんな壮絶な苦しみの果てに毒ガスで殺されるなら、舌を噛み切って自殺するでしょう。
人間という生き物は残酷です。
自分が嫌でも上の命令とあらばこのような殺戮ができるのですから。

ガス室のすぐ横にあるこの絞首台で収容所の初代所長だったルドルフ・フェルディナント・ヘスが1947年4月処刑された場所です。
ルドルフの言葉で「この命令には、何か異常な物、途方もない物があった。しかし命令という事が、この虐殺の措置を、私に正しい物と思わせた。当時、私はそれに何らかの熟慮を向けようとはしなかった。私は命令を受けた。だから実行しなければならなかった。」というものがあります。
彼の言葉からわかることは、人間は誰でも彼のような状況に置かれると何でも実行してしまうということです。
僕が彼ならば多分同じことをするでしょう。
多分他の人の大半が彼と同じようなことをすると思います。
人間って怖いですね。

ビルケナウ収容所

このトロッコに乗せられて収容所へユダヤ人たちが連れてこられたそうです。
このアウシュビッツ=ビルケナウ収容所に来て感じたことは、大学生の僕にとって衝撃でした。
普段考えない平和について真剣に考え、過去に起きた事実と向き合うことが私たち若者ができることではないかという自分の中の答えを導き出しました。
人間はいずれ同じことを繰り返す。
でも、それは過去の過ちをちゃんと理解していない人たちが起こすものです。
僕は、今でも海外に行くと必ずその国の負の部分を見るようにしています。
グロテスクなので行きたいと考える人は少ないかもしれませんが、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所は20代のうちに必ず行くべき場所だと思います。
ぜひ、東欧に来た際はアウシュビッツ=ビルケナウ収容所に行ってくださいね。

ビルケナウにいたなついてきた野良猫
いつか、世界が愛と平和に満ち溢れることを心の底から願います。
では、また!!
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